数詞...
先日, とあるブログでフランス語の数詞ネタが登場していたのですが, 実際問題として, 数詞の形態が一体どれくらい影響しているものなのでしょうね? 大元のネタは石原都知事の例の発言なのですが, なかなかに, おもしろい問題です。
確かに, 自国語との形態差が大きいと凄く苦労したりしますから, 外国語として習う場合などは影響が大きいのでしょう。 同様に文字として残す場合には…。 もっとも, 文字の場合には今ならアラビア数字が使われるでしょうけれど。
それに対して, 自国語の場合は, 物心付いてから授業として習う場合でも, 別段大きく影響しないのではないかと…。 ある程度は小学校へ入るくらいには覚えてしまうわけですし, それ以後も言わば延長で覚えてしまうような気がします。
例えば 97 という数字があったとして, これを覚えるのに 1 から数えた記憶はありませんし, 懸命に 10 * 9 + 7 と計算しながら「97」と言っていた覚えもありません。 それこそ「きゅうじゅうなな」という単語があるかのように, 一塊で覚えてしまっていたような気がします。 もちろん, 最初の 1~10 くらいは数えて覚えたのでしょうけれど, 数字一般を数えて覚えた記憶はありません。 比較的素直な形態となっている日本語ですが, それが理由で数えなくて済んだわけではないと思います。
日本人にとって少々かけ離れた形態に見えるフランス語にしても, ネイティブの方々が 97 (quatre-vingt-dix-sept) を 20 * 4 + 17 = 97 と計算しながら言って (覚えて) いるとは思えません。 「カトルヴァンディセット」の一塊で覚えてしまっている気がします。 もちろん, そういう構造になっていることを知識として意識することはあるでしょうし, ラテン語を覚える必要のあったガリアの人々は, それこそ 20 * 4 + 10 + 7 = 97 と自分たちが使っていた 20 進数に近い形で言い直していたのでしょうけれど…。 そういえば, そのラテン語 (古典ラテン語) では, 18 などは duodeviginti と 20 - 2 = 18 の形態に…。
本人が気づくことのない意識下では 10 * 9 + 7 と計算しているのかもしれませんが, その段階での差が影響するのであれば, 表面的な計算能力の差が, もっと激しいような気がします。
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